38年ぶりに慶応義塾大学日吉キャンパス訪問
40年ぶりに慶應義塾大学日吉キャンパスを同級生佐々木浩一君と訪問しました。
駅前も随分変わり、時の流れを感じます。変わらないの大きな銀杏並木でした。
改札口も寂れた風情から超近代的になりました。もちろんその当時は自動改札口はありませんでしたから。ここが日吉駅かと思うくらい混んでいました。
キャンパスの反対側の学生街は以前あった雀荘もなくなり、洒落た建物・ショップが立ち並んでいました。
見つけたビリヤードは、そのままでした。 以前のままの外観です。
この午前中の時間に学生が店内の隅でダーツをしてました。のんきですね。
西口の3本の通り、右から「浜銀通り」「中央通り」「普通部通り」は、モダンな多くのショップが立ち並んでいました。 普通部通りには、先輩たちが通っていた雀荘があり、名物店主の甲高い「いらしゃいませ」という呼び声がまだ記憶に残っています。
当時の部長山崎先生の家も代が変わり建て替えられていました。 (←)
74年卒の池田先輩が住んでた下宿 (→)は、面影を残していました。下宿の玄関は以前のままです。 (↓)
キャンパス側は、綺麗な冬の銀杏並木で始まります。
この銀杏並みを見ると入学試験に来た日のことを思い出します。試験の頃は葉は落ちてしまっていて丸坊主でした。正面に記念館があります。
入学・卒業式が有った記念館前(↓)です。背中の向こうがキャンパスへの入口です。
右の白い建物は生物教室。出席するだけで単位をくれた生物学を思い出します。
土間の学食の建物も綺麗になり、メニューも豪華になっていてチョットやり過ぎかな。
これじゃ学生も金がかかるし、仕送りの親も大変そう。学生の服装もファショナブルでした。
外のレストランでもこれほど豊富なメニューはありませんね。当時は数品のメニューだったと思います。よくラーメンを食べていました。60円くらいだったと。安いからよく食べていました。食堂は他にもあると言うからびっくり。当時と比べて大変贅沢になっていますね。今の学生は恵まれています。日吉界隈でも学生は風呂、トイレ付きのマンションかアパートに住んでいるとか。三畳一間の下宿は無さそう。
カツカレーに付いたサラダはグラムいくらの計り売りでした。進んでいるものですね。これで、カツカレーとサラダで617円でした。スイカカードも使えました。学生たちはどことなく品があり当時とは違いファショナブルです。
部の練習後に通った自由が丘駅前の喫茶店「木馬」は、なくなっていました。この喫茶店でよくチョコレートパフェを食べたものでした。当時としては高かったと思います。
慶應義塾塾歌
中目黒に有った共同トイレ、共同流し台3畳一間が7部屋あった下宿屋は、もうなくなり娘さんの代に変わりマンションになっていました。前の土地を処分して後ろに賃貸マンションを建てたようでした。そこに通じる入口です。近くに有った銭湯はありません。学生時代には遠くに思えた下宿屋は、意外にも駅に極めて近かった。
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