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2014年1月18日 (土)

世界遺産「白川郷合掌造り」と飛騨高山を訪問

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埼玉から上信越自動車道と北陸自動車道を利用し、498km 5時間50分のバス旅でした。往路は、厳しい雪にもならず、順調な運転でした。PAでの休憩は、これまた地元の味や雰囲気が楽しめて、日本再発見です。

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白川郷蕎麦庄「やまこし」

初日夕食は、白川郷にある蕎麦屋「やまこし」で、自家栽培の蕎麦から作っている蕎麦を堪能しました。この店の主人は、店でだす蕎麦は、10町歩の畑で自ら栽培しています。

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白川郷合掌造り

ユネスコ世界遺産にも登録される、岐阜県と富山県にまたがる白川郷・五箇山の合掌造り集落。合掌造り、冬場の魅力、毎年行われるライトアップ。神秘的かつ幻想的な日本の原風景を見に行きました。年に7回ライトアップされる初日1月18日に行きました。

世界文化遺産「白川郷・五箇山合掌造り集落」・・・平成7年12月、岐阜県白川村荻町(白川郷)と富山県上平村菅沼、平村相倉(五箇山)の3集落が世界文化遺産に登録された。白川郷を訪れる観光客は、登録前で約60万人程度だったものが、世界遺産に登録されると格段に増え、平成8年に100万人、昨年は150万人を突破したと言う。人口わずか2000人程度の小さな村に、秋田県の人口117万人を遥かに上回る観光客が押し寄せる。

http://tokuzo.fc2web.com/2003/sirakawa/sirakawa.htm

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Dsc01187_edited 和田家は、荻町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りです。江戸期に名主や番所役人を務めるとともに、白川郷の重要な現金収入源であった焔硝の取引によって栄えました。現在も住居として活用しつつ、1階と2階部分を公開しています。築三百年の合掌造りです。

間口14間、奥行き7間の建坪は、白川村に残された合掌造りの家屋としては最も規模が大きい。しかも、庭や生垣、周囲の田畑や水路などの周辺環境の保存状態も良いことで知られ、代表的な合掌家屋として御母衣(みぼろ)の旧遠山家と並び称される風格と美しさを誇っています。

主屋に加え、土蔵や便所を含めて文化財に指定されており、和田家代々で使用された遺物や民具が展示されています。

入場料は、三百円で、受付をしている方が、20代目の和田さんです。

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富山の薬

富山で、越中反魂丹を看板商品とし、今も薬都とやまの伝統を受け継ぐ池田屋安兵衛商店です。 ... 反魂丹伝説 体に魂を呼び戻す妙薬, 医学や薬学がまだ未開の時代にあって、反魂丹こそが、日本を代表する最初の和漢薬と言われた。

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反魂丹の製造過程。小さな穴から反魂丹を押し出し、台に並べる。その後、板で表面を転がし、球体にする。

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反魂丹は二日酔に効き、飲む前に服用すると悪酔いしないと言うので、1袋3500円で購入しました。

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飛騨の小京都

高山市の中心市街地には江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれている。観光ガイドでは飛騨高山と記され、全国各地から毎年非常に多くの人が観光に訪れる。また、最近は、「日本の原風景を残す街」として紹介され、日本国外からの観光客も増加している。高山市の中心市街地には江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されて おり、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれています。

_edited2_3 現在の宮川朝市は1953年5月1日から始まったものであるが、飛騨高山朝市そのものの歴史は古く、江戸時代より高山別院 照蓮寺付近で始まった朝市に端をなすとの記録が残されている。 戦後、1947年に安川朝市組合が結成され、結成当時は安川通りで行われていたものの、1953年にその安川通りが国道158号に含まれたことから、県から立ち退きを命じられている。その移転先として始まったのが宮川朝市となる。Dsc01304_2

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宮川朝市(みやがわあさいち)は、岐阜県高山市下三之町(宮川沿い)の路上にて、飛騨高山宮川朝市協同組合によりほぼ毎朝行われている朝市である。石川県の輪島朝市、千葉県の勝浦朝市と並ぶ、日本三大朝市のひとつとも言われ、高山市を代表する観光名所のひとつである。季節によって並ぶ店は野菜屋、花屋、味噌屋、そして漬物屋と様々ですが、約60軒の店が立ち並びます。

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古い町並み

Dsc01315 高山市内の古い町並み。城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の三筋の町並みを合わせて「古い町並」と呼んでます。出格子の連なる軒下には用水が流れ、造り酒屋には看板ともいわれる杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり町家の大戸や、老舗ののれんが連なっています。

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高山陣屋

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高山陣屋(たかやまじんや)は、江戸幕府飛騨国直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所(陣屋)。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。

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元来は飛騨高山藩主であった金森の所有する下屋敷だったが、1692(元禄5年)に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され、代官所として用いられるようになった。1777年(安永6年)以降は郡代役所となった。明治維新後は筑摩県高山出張所(のち岐阜県高山支庁)庁舎として用いられた。

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1929年には国の史跡に指定されたが、その後も様々な公共機関の事務所として利用された。1969年まで県事務所として利用されていたが県事務所が移転後、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存する方針が示された。1996年(平成8年)3月、1830(天保元年)の絵図を基に約20億円を掛けて蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などが、ほぼ江戸時代の状態にまで復元された。



 

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