冬の風物詩 年末から年明けの津軽の旅
2013.12.31~2014.1.3 津軽の旅 初日 これから津軽へ旅立ちます。
埼玉からバスで走ること 約540Km 6時間半で武家屋敷で有名な仙北市角館に着きました。久保田城主の一族である佐竹義隣が統治し、200年余り仙北地方の拠点として栄えました。
家を案内してくれた13代目の石黒直伸さん(右)、12代目は、現在も、この屋敷に住んでいます。
次に青柳家を訪問しました。青柳家は、もともと芦名(あしな)氏の家臣団の優力な武将でしたが、芦名氏が絶えた後は佐竹北家(さたけきたけ)に仕えました。屋敷は広く敷地の入口に薬医門、道沿いには武者窓とよばれるのぞき窓のついた造りになっています。
http://www.samuraiworld.com/facilities/index.html
敷地内の展示館は、代々伝えられた武具や美術品などの公開施設になっています。
ホテルパールシテイ秋田竿燈大通りに宿泊。
大学卒業以来会っていなかったゼミの旧友、今野と再会。押しかけにもかかわらす、秋田料理屋に案内していただき、感謝してます。相変わらず彼は、白髪になっただけで変わっていませんでした。
秋田の地酒、はたはたの煮物、地鶏の甘煮は、美味でありました。
津軽の旅、二日目 「なまはげ」に会いに行くことから始まりました。
なまはげは、大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事。「なまはげ」は基本的には山の神々の使いとして里に来訪し、怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる使者(鬼・妖怪の類い)であり、家人は正装をして丁重にこれを出迎えるという日本の民間信仰のひとつです。
なまはげを祀る真山神社。男鹿のなまはげは、真山(しんざん)に鎮座する神々の化身と信じられている。豊作、豊漁、吉事をもたらす神として丁寧に迎えもてなす。
下の男鹿真山伝承館は、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。ここでは、元来、民俗行事として大晦日にのみ地元の人以外には中々見ることが出来なかったナマハゲ習俗を広く観光客の方にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座を行っています。
なまはげの語源は「モナミを剥ぐ」という言葉がなまったもの。モナミとは炉端にかじりついている時に手足にできる火型のことで、それを剥ぎ取り、怠惰を戒めるのがなまはげである。http://youtu.be/1aBplx1MPw8
なまはげ伝承ホールで、太鼓演奏とパホーマンスを見学。彼らは海外にも出かけてそのホーマンスを披露しているそうです。
なまはげ館では、男鹿市内各地で実際に使われていた110体&40枚(計150枚)の多種多様なナマハゲ面が勢ぞろい。
次に向かうは、黄金崎不老ふ死温泉です。湯けむりの向こうに雄大な日本海の景色が広がる大浴場には、サウナや日本海パノラマ展望風呂があります。また、名物の海辺の露天風呂は日本海に面し、潮騒をうけながら、美しい夕陽を眺めながらの入浴が楽しめるはずでしたが、今回は、波が高く利用することが出来ませんでした。残念!
海岸にある露天風呂。当日は、波が高く使用出来ませんでした。
昼食は、深浦町名物のマグロステーキ丼でした。名物と言える程でもないので期待しない方がいいですよ。(感想)
深浦町の千畳敷(せんじょうじき)は、青森県西津軽郡深浦町にある海岸。津軽国定 公園に属しています。
旅の2日目の夕食は、青森県五所川原市のおふくろの味「三宝汁定食」でした。余りお勧めしません。
津軽の旅、三日目 津軽鉄道ストーブ列車に乗る。
しかし、そこに、源平の戦いや一ノ谷や屋島の合戦で活躍した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびてきました。まもなく、義経を保護した秀衡が病死すると、4代泰衡は頼朝の圧力に耐えかねて、文治5年(1189年)義経を急襲して自害させました。しかし、泰衡も頼朝に攻め滅ぼされ、1189年奥州藤原氏は滅亡しました。
中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。
以前より岩手県産の地鶏、いわいどりとして有名。そのいわいどりをほどよく味つけし、ふんだんに入れた岩手ならではの駅弁
仙台名物の牛タン弁当。しかもお燗機能付きのスグレものです。ひとつ1000円は高いか、安いかは買った人の考え方次第。外箱についている紐を引くと5~6分でホカホカ。帰りのバスの中の夕食
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