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2014年1月 1日 (水)

冬の風物詩 年末から年明けの津軽の旅

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2013.12.31~2014.1.3 津軽の旅 初日 これから津軽へ旅立ちます。

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埼玉からバスで走ること 約540Km 6時間半で武家屋敷で有名な仙北市角館に着きました。久保田城主の一族である佐竹義隣が統治し、200年余り仙北地方の拠点として栄えました。

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石黒家は、佐竹北家に仕え、財政関係の役職についていた家柄です。茅葺き屋根の母屋とのぞき窓のついた黒板塀、正玄関と脇玄関を備えて武家の高い格式を示しながら簡素なただずまいとなっています。現存する角館の武家屋敷の中で格式が一番高い家柄の屋敷です。
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武家屋敷案内図

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家を案内してくれた13代目の石黒直伸さん(右)、12代目は、現在も、この屋敷に住んでいます。

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次に青柳家を訪問しました。青柳家は、もともと芦名(あしな)氏の家臣団の優力な武将でしたが、芦名氏が絶えた後は佐竹北家(さたけきたけ)に仕えました。屋敷は広く敷地の入口に薬医門、道沿いには武者窓とよばれるのぞき窓のついた造りになっています。

http://www.samuraiworld.com/facilities/index.html

敷地内の展示館は、代々伝えられた武具や美術品などの公開施設になっています。

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ホテルパールシテイ秋田竿燈大通りに宿泊。

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大学卒業以来会っていなかったゼミの旧友、今野と再会。押しかけにもかかわらす、秋田料理屋に案内していただき、感謝してます。相変わらず彼は、白髪になっただけで変わっていませんでした。

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秋田の地酒、はたはたの煮物、地鶏の甘煮は、美味でありました。

津軽の旅、二日目 「なまはげ」に会いに行くことから始まりました。

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なまはげは、大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事。「なまはげ」は基本的には山の神々の使いとして里に来訪し、怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる使者(鬼・妖怪の類い)であり、家人は正装をして丁重にこれを出迎えるという日本の民間信仰のひとつです。

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なまはげを祀る真山神社。男鹿のなまはげは、真山(しんざん)に鎮座する神々の化身と信じられている。豊作、豊漁、吉事をもたらす神として丁寧に迎えもてなす。

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下の男鹿真山伝承館は、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。ここでは、元来、民俗行事として大晦日にのみ地元の人以外には中々見ることが出来なかったナマハゲ習俗を広く観光客の方にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座を行っています。

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なまはげの語源は「モナミを剥ぐ」という言葉がなまったもの。モナミとは炉端にかじりついている時に手足にできる火型のことで、それを剥ぎ取り、怠惰を戒めるのがなまはげである。http://youtu.be/1aBplx1MPw8

なまはげ伝承ホールで、太鼓演奏とパホーマンスを見学。彼らは海外にも出かけてそのホーマンスを披露しているそうです。

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なまはげ館では、男鹿市内各地で実際に使われていた110体&40枚(計150枚)の多種多様なナマハゲ面が勢ぞろい。

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次に向かうは、黄金崎不老ふ死温泉です。湯けむりの向こうに雄大な日本海の景色が広がる大浴場には、サウナや日本海パノラマ展望風呂があります。また、名物の海辺の露天風呂は日本海に面し、潮騒をうけながら、美しい夕陽を眺めながらの入浴が楽しめるはずでしたが、今回は、波が高く利用することが出来ませんでした。残念!

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海岸にある露天風呂。当日は、波が高く使用出来ませんでした。

昼食は、深浦町名物のマグロステーキ丼でした。名物と言える程でもないので期待しない方がいいですよ。(感想)

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深浦町の千畳敷(せんじょうじき)は、青森県西津軽郡深浦町にある海岸。津軽国定 公園に属しています。

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旅の2日目の夕食は、青森県五所川原市のおふくろの味「三宝汁定食」でした。余りお勧めしません。

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津軽の旅、三日目 津軽鉄道ストーブ列車に乗る

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ストーブ列車は、五所川原駅から金木駅まで大人530円 約12km 25分

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ストーブ列車は1日に18往復 R五能線の五所川原駅(津鉄の駅名は津軽五所川原駅)から津軽中里駅まで運行されています。19.1Km 45分
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ストーブ上でスルメが焼かれ、車内は様々な人たちの交流の場です。石炭ストーブで焼いたスルメイカで一杯。
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車内は懐かしいノスタルジックな作りとなっています。1両に2台置かれたダルマストーブの燃料は石炭です。赤々と燃える石炭ストーブの周りにはたくさんの人が集まり、地元や他県の言葉が行き交う、憩いの場となります。
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ここ金木には、太宰治の生家があります。本名、津島修治。青森県津軽の大地主の家に生まれる。父親は貴族院議員も務め、邸宅には30人の使用人がいた。小学校を首席で卒業。14歳の時に父親が病没し、長兄が家督を継ぐ(太宰は六男)。16歳の頃から小説やエッセイをクラスメートと作った同人雑誌に書き始める。又 歌手 吉幾三も金木出身です。
日本の道百選」にも選ばれた伝統的建造物が残る黒石市の中町通りの「こみせ」は、藩政時代から今に残るアーケード状の通路です。現在もまとまった形で残されているのは、全国的にも類例がないといわれています。
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金木から黒石温泉郷向かい、そこには津軽伝承工芸館こけし館の2施設を併設。津軽塗など伝統工芸をはじめ、津軽三味線、黒石つゆ焼きそば、100人足湯、こけしの絵付けなど楽しめます。
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津軽三味線(つがるしゃみせん、つがるじゃみせん)は、津軽地方(現在の青森県西部)で成立した三味線音楽。現代においては特に独奏を指して「津軽三味線」と呼ぶ場合が多い。撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法と、テンポが速く音数が多い楽曲に特徴があります。
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演奏者の職業(左)は、りんご農家です。20歳ころから津軽三味線を習い始めたそうです。
これから、夕食に出かけます。わんこそばと南部そば会席の盛岡にある老舗「東屋」に向かいます。
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老舗「東屋」は、創業明治四十年。以来この盛岡に、そば料理店として、暖簾を守り続けています
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今夜の宿は、ホテルパールシテイ盛岡です。
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津軽の旅 四日目 最終日
最終日の周辺を散歩。
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盛岡は、人口三十万人ですが、思ったよりも大きく駅前の景色は、情緒ある風情でした。
地酒の試飲が出来る酒造り「あさ開」で買い物。
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左のセット 13,000弱円を10,000円と言うので、衝動買いをしてしまいました。
平泉に移動
平泉は藤原清衡から藤原泰衡の4代にわたっての奥州藤原氏の本拠地となり、藤原氏の治世のもと、100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」でした。
しかし、そこに、源平の戦いや一ノ谷や屋島の合戦で活躍した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびてきました。まもなく、義経を保護した秀衡が病死すると、4代泰衡は頼朝の圧力に耐えかねて、文治5年(1189年)義経を急襲して自害させました。しかし、泰衡も頼朝に攻め滅ぼされ、1189年奥州藤原氏は滅亡しました。
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岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関 中尊寺
中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。
冬景色の金色堂覆堂 
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中尊寺を訪れた松尾芭蕉像と共に
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江戸時代前期の元禄2年(1689年)、平泉を訪れた松尾芭蕉は、奥州藤原氏の当時繁栄を極めた居館のあった場所が、田野となっている有様を見て、夏草や 兵共(つわものども)が 夢の跡と俳句を詠み、また朽ちかけていたもののかろうじて光を残す中尊寺金色堂においては、五月雨の 降(ふり)残してや 光堂の句を残しています。
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毛越寺(もうつうじ)は、近年になって復興された岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院。開山は慈覚大師円仁。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩である。
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毛越寺 A 毛越寺お休み処 B  中尊寺は 紫の印
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毛越寺境内にて
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毛越寺庭園 極楽浄土を再現した池
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【岩手県産いわいとりめし】 今日の昼飯
以前より岩手県産の地鶏、いわいどりとして有名。そのいわいどりをほどよく味つけし、ふんだんに入れた岩手ならではの駅弁
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【仙台名物牛タン弁当】 今日の夕飯
仙台名物の牛タン弁当。しかもお燗機能付きのスグレものです。ひとつ1000円は高いか、安いかは買った人の考え方次第。外箱についている紐を引くと5~6分でホカホカ。帰りのバスの中の夕食
これで、四日間の津軽の旅から無事帰宅しました。

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