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2014年4月の13件の投稿

2014年4月30日 (水)

築地市場 場内市場寿司店で賞味

これから、築地魚市場で、寿司を賞味します。 市場に向かう交差点で撮った写真。芸術めいた構図なのでとても好きです。

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築地市場(つきじいちば)とは、東京都中央区築地にある公設の卸売市場。東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場のひとつだが、その規模は日本はおろか世界最大(広さでは大田市場のほうが広いが、取引金額は大田市場より大きい)であり、代表的な卸売市場である。江戸時代から東京の食品流通を担ってきた日本橋魚河岸をはじめとする市場群が、1923年(大正12年)9月に起きた関東大震災で壊滅したのを受け、12月、隅田川や汐留駅といった水運、陸運に恵まれていた旧外国人居留地(築地居留地)の海軍省所有地を借り受けて臨時の東京市設魚市場を開設したのが、築地市場の始まりである。

築地市場の扱う生鮮品の良さや食堂棟のグルメがマスコミに頻繁に取り上げられるようになったこと、築地市場の売り上げの減少により業者以外の入場規制の解除を行い観光客の誘致を働きかけるようになり、一般の見学客や購買客が大勢訪れるようになった。現在は東京の観光ガイド本はもちろん、外国人向けガイドブックにも築地が取り上げられ、日本の観光地の一つとなっている。

また、築地市場の別称である場内市場と、築地市場に隣接した商店街である場外市場とがあり、市場敷地内は東京都管轄の卸・仲卸・関連事業者と呼ばれる業者販売を前提とした店であるが、場外市場は通常の商店街と同じで一般客や観光客を相手にした店が多い。

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築地市場の別称である場内市場と、築地市場に隣接した商店街である場外市場とがあり、市場敷地内は東京都管轄の卸・仲卸・関連事業者と呼ばれる業者販売を前提とした店であるが、場外市場は通常の商店街と同じで一般客や観光客を相手にした店が多い。新大橋通りと晴海通りとの交差点から市場にかけての地域がそれにあたる。

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                                                         場 外 市 場
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築地市場は、当初、列車輸送が想定されていたためトラック駐車スペースは狭小であった。築地市場が、取り扱い数量の拡大(2005年に2140トンで日本最高)により施設が手狭になったことや1935年(昭和10年)開場の施設の老朽化や違法駐車増加、銀座などに近い築地という立地条件の良さの他目的への利用価値の観点から、道路条件や駐車スペースなど2012年(平成24年)をめどに東京都江東区の東京ガスの工場跡地の豊洲新市場への移転が検討された。東京都は、築地市場の移転先を豊洲にすることは元々反対の立場で築地市場の再整備を始めていたが、営業しながらの再整備工事は完成まで長期間かかり、再整備工事期間中は市場の営業活動に悪影響をもたらすことなどの問題点が浮上し、当初の計画通りに工事を進めることが困難なことから賛成へと変化し、2001年(平成13年)に再整備をやめて豊洲に移転することを決定した。

Dsc04047場外市場入り口から入ってった大通りの中ほどに、山長という卵焼きやがあります。人が列をなして焼きたての卵焼きを買い求めていたので、私もチャレンジしました。一個百円。まあまあ旨い。 大根おろしがかかってます。Dsc04051

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魚市場なのに、コーヒー豆を売っているコーヒーやさんがありました。女主人は、3代目だそうです。スケートの安藤美姫選手に、似ています。アイスコーヒーは、250円でした。1960年の創業以来、 手間を惜しまない煤煎と 迅速な供給で、美味しい コーヒーをお客様へ お届けしてきたそうです。隣には、これまた、元気そうな寿司店が開業中でした。焼き牡蠣やホタテを売っている店もあり。焼き牡蠣にトライしましたが、お値段は、200円。大粒で、その価値十分でした。

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                ここからが、場 内 市 場 です。

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上の写真の左の筋を入っていくと、無数に区画された仲買人の店が目白押しです。迷子になりそう。
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午後11時から翌朝7時まで、営業しているそうです。見学するなら、午前5時から9時までに来たほうがいいと勧められました。ここでは、5大卸業者hから、何千?の仲買人が買い付けています。築地市場が豊洲に移転する際に、仲買人の多くが廃業すると聞きました。
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場内市場に最も近いところにも店が、開業しています。マグロ専用疑似餌販売を50年以上もされている人に会いました。20年前には国内に1300隻あったマグロ大型漁船は、今では250隻にと留まっていると。
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現在、午後3時です。多くの場内市場の店は、閉店していますが、それでも数軒は、開業しています。

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私は、列に並ばず、隣の好いている店に入りました。昼は、食べたばかりなので、だめもとで、3600円んのマグロ特選の半分を注文したところ、半分にしてくれました。生ビールと合わせて、合計2550円でした。
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今日は、有名な寿司店で豪遊したような気分になりました。

 

築地本願寺は、石造りでした。

Dsc03977_2偶然寄ってみた築地本願寺。地下鉄駅員に尋ねた方向に行ってみると、屋根が日銀の屋根思い起こすような建物が見えてきました。方向が間違ったかなと不安に思いながら突き進むと確かにそこは、築地本願寺でした。私は、日本固有の建築様式を整えた和風造りと思い込んでいたのです。こんなお寺は、創価学会の建物しか考え及びませんでした。

築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。その後関東大震災による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。又、58ヶ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。

現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。

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築地本願寺は、東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の直轄寺院である。著名な人物の葬儀が多く執り行われる。

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2014年4月28日 (月)

上野恩賜公園

仕事の帰りにぶらりと立ち寄りました。

Dsc04536 上野恩賜公園
は、東京都台東区にある公園。通称上野公園。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも呼ばれる。総面積約53万m²。東京都建設局の管轄。公園内には博物館、動物園等、多くの文化施設が存在する。「上野公園」は台東区の町名でもある。東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している。また彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも知られる。高台となっている忍ヶ岡は、近世からの桜の名所としても有名であり、日本さくら名所100選に選定されている。

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寛永寺
東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。山号は東叡山(とうえいざん)。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、慶応4年(1886年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。彰義隊討伐の命が発せられた時、彰義隊は東照宮付近に本営を設置し、山王台(西郷隆盛銅像付近)から応射した。西郷が指揮していた黒門口からの攻撃が防備を破ると彰義隊は寛永寺本堂へ退却するが、彰義隊はほぼ全滅し、彰義隊の残党が根岸方面に敗走した

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何故ここに西郷さんがいるのか?が分かりました。
西郷隆盛さんは東征軍の職務上の権限を持っていたのです。

江戸開城以降、関東各地で旧幕府陸軍兵士等の盗賊が各地で幕府復興を名目に放火や強盗を起こし、江戸では彰義隊の新政府への敵対姿勢が改まらず、彰義隊隊士の手で新政府軍兵士への集団暴行殺害が繰り返されていた。京都の明治新政府は関東の騒乱の原因の一つを彰義隊の存在と考えた。新政府は彰義隊に江戸警備の任務を与え懐柔しようとした勝海舟ら旧幕府首脳、また旧幕府首脳に江戸治安を委任していた東征軍の西郷隆盛から職務上の権限を取り上げ彰義隊を討伐する方針を決定し、京都から西郷隆盛に代わる統率者として大村益次郎が着任した。

新政府側は、1868年5月1日に彰義隊の江戸市中取締の任を解くことを通告、新政府自身が彰義隊の武装解除に当たる旨を布告した。これにより彰義隊との衝突事件が上野近辺で頻発。軍務局判事(兼江戸府判事)として江戸に着任していた大村益次郎の指揮で武力討伐が決定、同14日に彰義隊討伐の布告が出される。

新政府軍は長州藩の大村益次郎が指揮した。大村は海江田信義ら慎重派を制して武力殲滅を主張し、上野を封鎖するため各所に兵を配備してさらに彰義隊の退路を限定する為に神田川や隅田川、中山道や日光街道などの交通を分断した。大村は三方に兵を配備し、根岸方面に敵の退路を残して逃走予定路とした。作戦会議では、西郷隆盛は大村の意見を採用したが、薩摩軍の配置を見て「皆殺しになさる気ですか」と問うと、大村は「そうです」とにべもなく答えたという。

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彰義隊 1868年に江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊。幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが、上野戦争で明治新政府軍に敗れ解散した。鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜は江戸城へと移っていたが、1868年2月11日に新政府に対する恭順の意を表し、翌12日上野寛永寺に蟄居した。これに不満をもった有志が集まり結集された組織。町人や博徒や侠客も参加し、隊が千名を越える規模になった。1868年5月15日(7月4日)、新政府軍側から宣戦布告がされ、午後5時には戦闘は終結、彰義隊はほぼ全滅した。戊辰戦争の前線は関東の北の要塞であった宇都宮や、旧幕府勢力が温存されていた北陸、東北へ移った。
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Dsc04287 自作の木琴を自転車に載せ世界各国を演奏旅行している立松正さん、国立の自宅から2時間かけて演奏しに来ているそうです。演奏時間は、午後4時まででしたので、残念ながら聴くことはできませんでした。東京都の石原知事より、○○芸術賞を頂いているようです。賞の名前を聞きましたが、忘れました。演奏許可を一ヶ月前に取って、ライブを公開しています。

下の写真は、小学校の遠足で行ったことのある上野動物園です。この時は、閉園時間となっていました。

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上野東照宮ぼたん苑には、1500坪の敷地に約250品種、3200株が植栽されています。今年で32回目の開催です。1980(昭和55)年に日中友好を記念して開園した同苑には50種200本余りの中国のボタンが植えられており、珍種として知られる「豆緑(とうりょく)」や「崑崙獅子(こんろんじし)」なども見ることができる。「パンダを見た後に当苑でボタンを楽しむ方も多い。

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偶然お会いした女性たち。おしとやかで、花に囲まれていたので、お願いして撮らせて頂きました。

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Dsc04389_2 上野東照宮 東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧社格は府社。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれる。徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る。寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したものである。社殿は平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されている。600円の拝観料で透塀内を見学できる。

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徳川家康公(東照大権現)の遺言により、1627年(寛永4年)、藤堂高虎と天海増正によって、東叡山寛永寺境内に、家康公をお祀りす神社として建立され、1646年(正保3年)に正式に東照宮の宮号を授けられた。1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光が造営替えしたものが、現存する社殿である。

上野精養軒 東京都台東区上野恩賜公園内にある老舗西洋料理店。株式会社精養軒によって運営されている。本店のある上野公園内の博物館などに系列店を出店している。1872年(明治5年)  三条実美や岩倉具視の援助により、東京府築地に「西洋館ホテル」創業。1873年(明治6年)  西洋館ホテル、「精養軒ホテル」と改称。(築地精養軒)1876年(明治9年) 上野精養軒開業

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不忍池 弁天島に建つ石碑によれば、「不忍池」の名は、かつて上野台地と本郷台地の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来するとのことである。ただし、異説もあり、周囲に笹が多く茂っていたことから篠輪津(しのわづ)が転じて不忍になったという説(『新編武蔵風土記稿』)や、ここで男女が忍んで逢っていたからという説(『望海毎談』)もある。15世紀頃には既に「不忍池」という名で呼ばれていた。

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これで、家に帰ります。 第一印象として、不忍池が以外に小さかったことです。

2014年4月26日 (土)

東京下町サイクリング 

本日、晴れ 最高気温 22℃
男女合わせて6名で、東京の街をサイクリング走行。2名は、ドバイからの観光客です。

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銀座 ⇒ 日本橋 ⇒ 三越 ⇒ 人形町 ⇒ 明治座 ⇒ 浜町公園 ⇒ 両国 ⇒ 大横川親水公園 ⇒ 牛島神社 ⇒ 隅田公園 ⇒ 浅草寺 ⇒ 浅草ビューホテル ⇒ 合羽橋 ⇒ 蔵前通り ⇒ 鳥越神社 ⇒ おかず横丁 ⇒ 秋葉原 ⇒ 万世橋 ⇒ 靖国通り ⇒ 竹橋 ⇒ 日比谷公園 ⇒ マッカーサー通り ⇒ 東新橋 の 約27キロを走行します。主な立ち寄り先 :  印

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本日のガイドさんは、みらくるサイクリングツアーの桑田さん(左)と別所さんです。

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今回の参加者
左 2人はガイド(左から 桑田さん、別所さん)
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 Photo_10 左 みらくるサイクリングの位置情報 

 ドバイからの観光客

Afmed Lily



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ガイドの桑田さん、別所さんから本日の行動予定および注意事項、バイクの操作方法の説明を受ける。使用バイク: 東京バイク 8段変則、クロスバイク 145センチ きわめて乗り心地良しDsc03225_3

銀座に向けて出発

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銀座

日本有数の繁華街であり下町の一つでもある。東京屈指の高級な商店街として、日本国外においても戦前よりフジヤマ、ゲイシャ、ミキモト、赤坂などとともに知られる。「銀座」の名は一種のブランドになっており全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられる。銀座の地名の由来は江戸時代設立された貨幣の鋳造所のことで、慶長6年(1601年)に京都の伏見に創設されたのが始まり。後1800年に東京の蛎殻町に移転して以来、元の「新両替町」の名称に代わり「銀座」として親しまれるようになり、この地名が定着した。また、銀座四丁目交差点周辺は商業地として日本一地価の高い場所としても知られる。 

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日本橋 東京都中央区の日本橋川に架かる国道の橋。日本の道路元標があり、日本道路網の始点となっている。橋梁としては現在19代目にあたる。石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27m、設計は米本晋一、装飾様式は妻木頼黄、装飾制作は渡辺長男による。

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人形町 江戸時代初期には、遊郭で有名な吉原(元吉原)が人形町通り東側の辺りにあった。「大門通り」はその名残である。1657年(明暦3年)1月の明暦の大火(振り袖火事)で辺り一帯が焼失した事を機会に、幕府の命で遊郭は浅草寺裏の日本堤付近に移転した(新吉原)。回向院(えこういん) 東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺、および、過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺のこと。墨田区の回向院周辺は処刑場だったが江戸時代、別館の荒川区に移っている。

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オフィス・飲食店・住居が混在する街並みで、街路は狭く一方通行の道路が多い。飲食店が連なる甘酒横丁という通りが有名。また、老舗店舗が多い。毎年8月に人形町通りで行われる「せともの市」は、夏の恒例行事となっている。


浜町公園 中央区最大の面積を誇る、中央区を代表する区立公園。近所の人たちのお花見の場所として人気がある。公園近くの人形町・甘酒横丁では例年3月下旬に桜まつりも開催される。

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両国 両国といえば相撲。相撲が行われる両国国技館以外にも相撲部屋やちゃんこ鍋屋など相撲に関係するものが多い。国技館の中には相撲博物館もあり、国技としての相撲が良くわかる。力士の姿を実際に目にすることも多い。

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大横川親水公園(おおよこがわしんすいこうえん) 東京都墨田区にある墨田区立の公園である。墨田区内を流れている大横川の多くの部分を埋め立てて造られた親水公園で、総延長は約1800メートルの大規模な親水公園である。大横川の流れている一帯は付近にあった工場などからの地下水の汲み上げにより地盤沈下が激しい地域であった。これにより低い土地では川から水が溢れると浸水する危険があったため、大横川の一部を埋め立てて親水公園として整備されたものである。公園としては1993年親水公園として大きく変わった。幅は30~40m、長さは1.85km、面積は約63,343m²になる。

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牛島神社 貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。五年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行する。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いている。

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隅田公園 公園隅田公園内には約700本の桜があり、日本さくら名所100選に選定されていて、毎年さくらまつりが開催される。 約1キロに渡る隅田川両岸の桜並木は、八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた。江戸時代より花見シーズには多くの出店が列び賑わう。

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浅草界隈 
江戸時代、武士の給料は米で支払われていたため、武士たちのために、米を保管するだけでなく現金にも替えてくれる札差という商人が出てきた。札差は預かった米から手数料を引いて、米と現金を武士に渡していた。そして、現物で手元に残った分の米は小売の米屋たちに手数料を付けて売っていた。札差は武士と小売の両方から手数料を取るため莫大な利益が出た。さらに、儲かったお金を武士たちに利子を付けて貸していたため札差は大富豪が多く豪遊する場として、浅草の粋な江戸っ子文化が発展した。


浅草寺 
東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。

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草浅草花やしき 東京都台東区浅草二丁目28番1号にある遊園地。1853年(嘉永6年)開園で、日本最古の遊園地とされる。ただし、一度取り壊された後、1947年(昭和22年)に復活した経緯があるため、断絶のない歴史としては前身も含めて1912年(大正元年)開業とされるひらかたパークの方が長い。

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合羽橋 
台東区西浅草 - 松が谷地区にある、食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などを一括に扱う道具専門の問屋街の事である。日本一の道具街であり、かっぱ橋、合羽橋道具街、かっぱ橋道具街とも呼ばれる。河童をマスコットにしているが、「河童橋」ではない。

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浅草通りと交わる菊屋橋交差点付近から言問通りまで南北に伸びるかっぱかっぱ橋道具街通り沿いに軒を構え、調理、厨房備品に関するものなら何でも揃うと言われる。その顧客の多くが飲食店である。厨房用品一切に係わる専門店は、その総数が170店以上に及ぶ。

1983年より、道具の日である10月9日前後に道具まつりが開催され、2003年秋には、道具街誕生90周年を記念して、合羽橋交差点近くのポケットパークにかっぱ河太郎像が建立された。

今日では日本特有の食品サンプルがガイド冊子で紹介され、海外からの観光客に人気を博し、専ら観光客向けのみやげ物屋として営業を行っている店もある。




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鳥越神社 
東京都台東区鳥越にある神社である。白雉2年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。例大祭に出る千貫神輿は都内最大級を誇る。 例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、平成25年度(2013年)は、6月8日(土)、6月9日(日)に開催される。

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おかず横丁 東京都台東区鳥越1丁目の鳥越本通りにある商店街の通称である。おかず通りともいう。長さは200メートルほどで惣菜店が多いのが特徴。周辺は、第二次世界大戦以前から家内制手工業が集積する軽工業の町であり、多くの女性も働いていたことから、必然的に総菜類を提供する店舗が多い構成となった。自家製大学いもを売る店や佃煮屋など数十年も時間が止まったようなお店が何軒もある。

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皇居 
第二次世界大戦後に宮城(きゅうじょう)の名称が廃止された東京の江戸城跡一帯を指して皇居と呼んでいる。天皇の住居である「御所」、各種公的行事や政務の場である「宮殿」、宮内庁庁舎などがある。江戸時代には京都にあり、御所、禁裏、内裏などと呼ばれていた里内裏であったが、明治維新後の東京行幸の後に留守となり、天皇の指示で保存されて現在に至る。現在は京都御所と称され、行幸後、首都機能が東京に移った際、明確な遷都の法令が発せられなかったので、京都御所を現在も皇居とみなす向きもある。しかし明治以降、京都御所に近代的居住機能が付加されることはなく、平安時代の様式を伝える最高格式の紫宸殿(正殿)や日常生活の場である常御殿などが保存されている文化財となっている。それ以前の御所については遺構が残るのみである。

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日比谷公園 東京都千代田区に所在する公園、および同公園を町域とする千代田区の町名。郵便番号は、100-0012。当地域の人口は、0人。公園の土地の一部は国有地である。

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    マッカーサー通り 
    東京都の東京都市計画道路幹線街路環状第2号線の異名。東京都市計画道路幹線街路環状第2号線#マッカーサー道路。現在拡幅工事を行っており、2020年の東京オリンピックの環境整備の目玉とされている。通りには、パリのカフェをイメージしたテラス風レストランが建ち並ぶ予定。


    無事出発地に帰還

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    お疲れさまでした。お気おつけてお帰りください。さようなら。
  • 2014年4月20日 (日)

    立山黒部アルペンルート 

    室堂は立山黒部アルペンルートのコース上にあり、立山や剱岳の登山の拠点となっていて、立山黒部アルペンルートの全線開通直後の「雪の大谷」を開放され、多い時は高さ20mに迫る”雪の壁”の中を室堂から始まる大迫力の雪壁をウォークします。

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    Photo_8 標高2,450mの立山室堂平は、世界でも有数の豪雪地帯で、約8mもの積雪があります。その中でも「大谷」は吹きだまりのため特に積雪が多く、その深さは20mを超えることもあります。ここを通る道路を除雪してできる約500mの雪の壁の区間を「雪の大谷」と呼んでいます。6月以降も10m以上の雪の壁が残ります。 富山、長野両県を結ぶ立山黒部アルペンルート(全長約90キロ)が16日、除雪作業を終えて全線開通した。ルート上で最も高い標高2450メートルの室堂(むろどう、富山県立山町)では、道路の両側に高さ15メートルの雪の壁がそびえ立つ「雪の大谷」が出現。海外からのツアー客らが記念撮影をしたり、壁面に触れたりして楽しんでいた。

    扇沢から黒部ダムに行くには、トロリーバスでいきます。http://youtu.be/1O19rzjMGhI

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    立山駅から扇沢駅までは、ほぼ東西に 25 km足らずの直線距離だが、最大高低差は 1,975 m あり、ルート内の交通機関として、立山連峰の景観を望む立山ロープウェイ、全線地下式のケーブルカー黒部ダム建設に用いられたトンネを通るトロリーバス、国内一の堤高を持つ黒部ダムの堰堤上の徒歩での移動など、様々な乗り物を乗り継いで移動する。そのほぼ全区間が中部山岳国立公園内にあり、飛騨山脈・立山連峰を貫き、黒部ダムなどのいくつもの景勝地を通る。

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    経済の本格的な復興を迎えた戦後日本は、深刻なエネルギー不足に悩まされていました。特に関西地方の長期間に渡る電力使用制限は大きな社会問題となり、 大量の電力を供給するすみやかなエネルギー開発の必要性が、声高に叫ばれるようになったのです。 当時の火力発電は出力調整に時間がかかり、刻々と変化する電力需要にすばやく対応できないという欠点がありました。 これを補うものとして水力発電所の建設が提案され、建設場所として豊かな水量そして大きな落差を持つ黒部川を有する、黒部峡谷にスポットが当てられました。 こうして、「世紀の大事業」とうたわれた関西電力による「クロヨン」プロジェクトは幕を開けたのです。

    コンクリート打設作業は夜を徹して行われ、黒部ダムは驚異的なスピードでその全容を現そうとしていました。 そして昭和38年5月、めでたく完成を見たのです。7年の歳月と513億円の工費、そして1,000万人の人手を要した、実に壮大なプロジェクトが終わりを告げた瞬間でした。

    黒部ダム

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  • 電鉄富山駅- 立山駅:富山地方鉄道本線・立山線(主に個人客が利用。団体客は観光バスを利用することが多い)
  • 立山駅 - 美女平駅:立山黒部貫光立山ケーブルカー
  • 美女平駅 - 室堂駅:立山黒部貫光立山高原バス
  • 室堂駅 - 大観峰駅:立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)
  • 大観峰駅 - 黒部平駅:立山黒部貫光立山ロープウェイ
  • 黒部平駅 - 黒部湖駅:立山黒部貫光黒部ケーブルカー
  • 黒部湖駅 - 黒部ダム駅:黒部ダム堰堤上を徒歩連絡
  • 黒部ダム駅 - 扇沢駅:関西電力(関電トンネルトロリーバス
  • 扇沢駅 - 信濃大町駅:川中島バス・北アルプス交通(大町アルペンライン路線バス 主に個人客が利用。)
  • 昭和30年代の電源開発工事に付随する、複数の資材運搬ルートの開設をきっかけとし、「富山と信濃大町を結ぶ道路建設を核とした、立山・黒部・有峰地区における一大循環ルートを構築すべき」 との社会的要請が次第に高まってきました。この計画において最も重要とされた室堂から黒部ダムを結ぶ区間は、関係自治体、電力会社などの協力を仰ぎながら、 昭和39年12月に新しく設立された立山黒部貫光会社(TKK)が請け負うこととなりました。

    昭和41年春、立山黒部貫光会社によって雄山直下を貫く立山トンネルの掘削工事がはじまります。 集中豪雨による輸送ルートの崩壊、50mに渡る破砕帯の出現、毎分63トンにも及ぶ湧水など、多くの障害に行く手を阻まれて工事は難航し、44年開通の予定は大幅な遅れを見せました。
    しかし、室堂トンネルなど他トンネルの貫通に作業員の士気は高まり、バンザイの声が鳴り響くなか、立山トンネルも無事開通の日を迎えることができたのです。 昭和46年6月1日、立山トンネルバス・立山ロープウェイ・全線地下式黒部ケーブルカーの完成をもって、ついに立山黒部アルペンルートの全線開通が実現。

    黒部湖から黒部平までは、貫光黒部ケーブルカーで、移動です。
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    黒部湖から黒部平間は、地下トンネルの黒部ケーブルカーで移動します。
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    黒部平の展望台からの景観
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    黒部平から大観峰へ立山ロープウエイで移動。
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    大観峰に到着。立山トンネルバスに乗り換えて室堂に移動。
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    最高地点は、立山登山の基点ともなる室堂で標高 2,450 m 富山県側の立山から黒部湖までの区間は山岳観光や立山の登山客の便を図る為に作られた。黒部ダムから扇沢の区間(途中に富山県、長野県の県境)は黒部ダム建設の資材運搬の為に建設され、ダム完成後に一般の旅客に開放された。

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    観光の中心は室堂であるが、4月からの5月にかけての観光の中心は「雪の大谷」(無料)である。これは室堂から麓の方へ歩いたところにあり、15メートルから20メートルの雪の壁を目の当たりにすることができる。3月頃からGPSで位置を確認しながら、大量の重機で除雪してできたものである。こんなにも高い壁が可能なのは富山が豪雪地帯の南限であり、湿気を含んだ雪の重さが2倍近くもあり、パウダースノーのようにパラパラとならないからである。

    室堂の雪壁ウオークを楽しめませんでしたので、次回にお預けとなりまし
    た。6月2日 雷鳥観察を兼ねて再訪問します。

    室堂から美女平へは、立山高原バスで移動します。

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    美女平駅 美女平駅から立山駅間は、立山ケーブルカーで移動となります。

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    立山駅

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    これより、バスで帰路となりました。皆さんお疲れ様でした。

    2014年4月19日 (土)

    高遠城址公園 コヒガンサクラ

    桜の三大名所  ①【吉野山の桜】は無慮五万本といわれ、その多くは山桜の系統である②【弘前公園】は元の弘前城の跡にあり、広大な敷地にソメイヨシノ、しだれ桜など約5000本の桜がある③【高遠城】は江戸時代内藤氏の居城であったが、明治になって城跡に桜を植えたのが始まりで、 その後、植え続けられたコヒガン桜が約1500本という。

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    明治4年、廃藩置県によって高遠城は取り壊しとなり、城内の樹木は競売にかけられ売り払われたため、この場所は荒地となっていた。1876年(明治9年)、これを見かねた旧藩士たちは城跡に桜を植樹し、城下町にあった門を移すなどして公園として整備した。1936年(昭和11年)、高遠閣が完成。高遠閣は観光客の休憩所、案内所として使用されているが、元々は地域の集会所として作られたものであった。1960年(昭和35年)、コヒガンザクラは長野県の天然記念物に指定されています。

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    長野県伊那市高遠町の高遠城址(じょうし)公園でタカトオコヒガンザクラが見頃を迎えた。19日の伊那の最高気温は平年より高い19度。市高遠町総合支所によると、約1500本が植わる園内は八分咲きになった。花は近年では一番の多さといい、上空から見ると一面ピンク色に染まっていた。桜よりも人人と、人の数が相当なものとなり、何処が何処だか見極めるのに一苦労しました。 動画 http://youtu.be/W4TdCx_2B7k

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    既に駐車場に停めるところから、渋滞となっています。

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    高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした堅城で城主は武田氏一族が務めた。別名兜山城ともいわれる。高遠城址は南アルプスの裾野にあり、春になるとこの地にしか咲かない1,500本のコヒガンザクラ(桜の一種)が咲き乱れ、城は赤みを帯びた鮮やかな桃色に包まれます。

    2014年4月12日 (土)

    福島市花見山公園

    花見山公園(はなみやまこうえん)は、福島県福島市にある花卉園芸農家の私有地の名称。中心市街地から見て南東、阿武隈川右岸の渡利地区の丘陵地中腹に位置する。所有者が公園として市民に無料開放しており、特に春の花見シーズンには、多くの観光客を集めている。当園周辺の農家も花卉園芸を行っており、地区一帯で花が咲き誇るため、「花見山」は地区全体の総称としても使用されています。

    春には、切花出荷用の東海桜、梅、桃、ソメイヨシノ、レンギョウ、ボケ、サンシュユ、モクレンそしてツバキ等が当園のみならず地区一帯に咲き誇ります。

    動画 http://youtu.be/7V3krnK1rGY

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    個々の花木への日照時間が多くなるよう、花卉園芸は傾斜地である丘陵地中腹において行われ、また、個々の花木が重ならないよう少しずつずらして植えられている。このため、花見シーズンの頃は視野全体に花が広がり、個々の花木の樹形も手伝って、花の密集度が非常に高い風景が生まれています。

    福島県三春滝桜

    12日に三春滝桜を夫婦で見学しました。

    三春滝桜(みはるたきざくら)は、福島県田村郡三春町大字滝字桜久保に所在する、樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木。国の天然記念物。三春の滝桜、また単に滝桜とも呼ばれる。2012年現在、推定樹齢1000年超、樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18m。三春町の滝地区に所在すること、毎年4月中・下旬に四方に広げた枝から薄紅の花が流れ落ちる滝のように咲き匂うことから、この名がある。

    Google_2 日本五大桜または三大巨桜の1つとして知られる。下の地図をクリックすると存在地を確認することが出来ます。

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    三春の滝桜は、蕾が膨らんできた状況です。開花宣言は、13日で見頃は、20日のようです。それでも随分楽しめました。三大巨桜とは、根尾谷淡墨桜(国指定天然記念物 所在地 : 岐阜県本巣郡根尾村) 、山高神代桜 (国指定天然記念物 所在地 : 山梨県北杜市武川町山高2763) 、三春滝桜 (国指定天然記念物 所在地 : 福島県田村郡三春町大字滝桜久)

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    2014年4月10日 (木)

    ’75三菱商事同期入社組 懇親

    ’75年商事同期で、タイに在住の松崎君が一時帰国した際に、西新宿で夕食を共にしました。http://youtu.be/jnl_aoqrqq0

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    2014年4月 7日 (月)

    東京タワーと隅田川ライン

    東京タワー、東京スカイツリーが目の前にそびえたつ浅草から乗り、隅田川にかかる12の橋をくぐって浜離宮、日の出桟橋までのクルーズを楽しみました。浅草の乗船場からは東京スカイツリーを間近に見ることができました。

    今日のはとバスガイドさんは、望月智美さんです。ウグイス嬢のような声での説明にウットリです。

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    東京駅前

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    浅草観光

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    ===戦前架橋===
    ;重要文化財
    *永代橋 *清洲橋 *勝鬨橋 ;東京都選定歴史的建造物 *蔵前橋、*厩橋 *駒形橋 *吾妻橋 *白鬚橋*両国橋 *言問橋 ;その他 *千住大橋(旧橋)

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    右 勝鬨橋

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    隅田川ライン http://youtu.be/mR_UXsln3QE これで、おしまい。手軽に楽しめる半日の散策でした。

    2014年4月 6日 (日)

    杉戸高野台さくら祭り

    杉戸高野台さくら祭が盛大に開催! 動画 http://youtu.be/kLEu69bnuOg

    平成5年から始まった「高野台さくらまつり」は、高野台さくらまつり実行委員会の主催で実施され、東武日光線杉戸高野台駅から徒歩5分ほどにある西近隣公園で実施されました。

     会場では、商店会の模擬店やフリーマーケットも出店し、公園や川沿いに植えられた250本の桜を静かに観賞できる、隠れた名所になっております。杉戸町の友好都市である福島県富岡町も参加しています。

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    杉戸音頭 http://youtu.be/kVFRDS7Lm1Y

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    よさこい 風  http://youtu.be/OCqx5ZemzGQ

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    フラダンス http://youtu.be/9ozy3Vj1quU

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    今日は、天候にも恵まれ楽しい杉戸高野台のさくら祭りを楽しむことができました。ありがとうございました。

    2014年4月 5日 (土)

    目黒川お花見クルーズ

    Photo目黒川は 世田谷区から 目黒区 品川区 を通って東京湾に注ぐ延長8キロの川。 大橋から目黒駅辺りまで約3.8キロの川沿い に約830本の桜が植えられています 大きな公園などはないが、川沿いのそぞろ歩きも楽しむことができます。今回は、お花見クルーズに参加しました。桜の原種は約10種類とされ、その原種の桜が交配し100種以上が野生化しています。このような野生種、自生種を「山桜」といいます。この「山桜」をもとに、さらに人の手で交配して作られた栽培品種、園芸品種を「里桜」といい、300種類以上もあります。http://youtu.be/7fW3y68SPjE

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    染井吉野(ソメイヨシノ)

    日本各地に植えられている代表的な桜です。江戸末期に染井村(東京都豊島区)の植木屋が作り出した品種で、当初「吉野桜」と名付けられ、後に「染井吉野」と改名されました。大島桜と江戸彼岸桜を交配させたものと推定されています。

    元々、日本では、山桜(ヤマザクラ)が、関東、中部から南の地域に分布していて、花と葉が同時に開き、花は薄いピンク色。古くから山に自生しており、昔のお花見は山桜を見ることでした。吉野山(奈良県)の山桜が有名です。

    大島桜(オオシマザクラ)

    伊豆七島、伊豆半島に分布します。花と葉が同時に開き、花が大きく香りも良く、丈夫で成長が早いので、染井吉野など多くの里桜の母種になっています。桜餅を包む葉は、大島桜の葉を塩漬けにしたものです。

    江戸彼岸桜 (エドヒガンザクラ)

    本州・四国・九州の山地に分布します。花が咲いた後、葉が出ます。お彼岸の頃に開花するのでその名がつき、枝が長く垂れる「枝垂れ桜」は江戸彼岸桜の園芸品種です。
    とても丈夫で長寿なので各地に巨木や名木があり、日本三大桜も江戸彼岸桜の系統で、いずれも国の天然記念物に指定されています。

    桜の種類
     春の訪れとともに咲くのが桜。日本(沖縄と北海道を除く)での桜の80%はソメイヨシノ(大島桜と江戸彼岸の雑種)だ言われていますが,その他の桜の種類も多い。桜を大きく分類すると自生種(山桜を代表とする桜),一重の里桜(染井吉野が代表),里桜(八重~半八重桜)となります。

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    「さくら」と日本人の関わり
    平安時代より前までは,野生の桜を鑑賞していたと考えられます。桜は万葉時代の歌にも詠まれていますが,その数は梅よりも少ないものでした。それは、梅を愛でる大陸の文化に貴族たちがあこがれたためです。
     平安時代に入って,野生の桜を都市部に移植して鑑賞するようになりました。桜の花見の風習は,9世紀前半に嵯峨天皇が南殿に桜を植えて,宴を催したのが最初と言われています。その後,貴族から武士や大衆へ,そして都から地方へと広まっていきました。
     桃山時代には,豊臣秀吉が我が故郷吉野と醍醐(京都)で盛大な花見を催しました。花見の楽しみが一般に知られるようになり,大衆にも一層身近なものになりました。

     
    江戸時代に入ると,3代将軍家光が上野に寛永寺を建てて吉野の桜を移植し,隅田川河畔にも桜を植えました。(日本の桜の発祥の地は奈良県の吉野考えられています。そうです,日本を代表する花のルーツは吉野にあったのです。)また,8代将軍吉宗が飛鳥山を桜の名所にしたことも有名です。花見はますます庶民に広がりました。
     江戸時代の前半には,桜が一気に散る様が武士に嫌われたようですが,泰平の世に入り,歌舞伎の忠臣蔵で「花は桜木,人は武士」という台詞が使われたことで,武士の桜嫌いは消えていったとも言われます。
     更に,江戸時代末期に登場し,あっという間に全国に広まったソメイヨシノのおかげで,日本中に花見の風習が広く普及し,深く浸透していったと言えるでしょう。
     一方,兵士は桜のように潔く散るべしとして,戦争中は軍国主義の道具として使われた悲しい歴史もありました。その歌は,「歩兵の本領」であり,以下のように唄われていました。

    万朶の桜か 襟の色
    花は吉野に 嵐吹く
    大和男子と 生まれては
    散兵戦の 花と散れ

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    昼食は、ホテル東京シーフォートにてランチバイキングでした。

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    午後3時に現地解散。皆さん、お疲れ様でした。

    桜総括

    桜の種類は沢山あります。昔は,桜と言えば山桜を指していましたが,現在はその本数から桜は「ソメイヨシノ」と思われています。しかし,山桜は桜の起源です。
     誰かが「桜の名所,その第一番は?」と,問えば,私は「吉野山」と即座に答える。別に「義経と静が手を取り合って道行きを遂げようとした(?)山,私の故郷」だからという訳ではありません。桜の山として古今東西この吉野山を越える山は他にありません。京都円山の桜も名所として名高いが,所詮この桜だって,吉野から移植されたものです。とにかく「桜と云えば,吉野」。それほどの桜なのです。現在でも吉野の山には,三万本とも六万本とも言われる桜が群生しています。また,桜の種類は200種に及びそのほとんどは白山桜です。我々の多くは,山桜というと,勝手に山に群生している木と誤解しているが,実はそうではありません。山桜の寿命は、意外に短くて、120年から130年位しかない。また花の最盛期は樹齢にして40から50年の頃です。だから山桜とて,人の手が入らなければ,その美しい景観を維持することは不可能なのです。

    2014年4月 1日 (火)

    同窓の佐々木浩一と桜見物

    大学時代から、40年余り交流のある佐々木浩一さんと初めて、桜見物をしました。場所は、自宅近くの杉戸西近隣公園です。平日とあって、すいておりゆっくり落ち着いた桜見物でした。私のひとつの思い出となりました。佐々木 ありがとう。 http://youtu.be/a-TE3SrlmHU

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