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2014年5月18日 (日)

八丈島を一周

Photo_3 八丈島  伊豆諸島。行政区分は東京都八丈町。隣の八丈小島 と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。東京の南方海上287キロメートル、御蔵島の南南東方約75キロメートルにあり、東山(別名:三原山・標高701メートル)と西山(別名:八丈富士・標高854メートル)のふたつの火山が接合した北西-南東14キロメートル、北東-南西7.5キロメートルのひょうたん型をした島。面積は山手線の内側とほぼ同じ。人口は、約8,000人。太平洋戦争の際には、連合軍の南方からの侵攻に備えるべく、小笠原諸島が陥落した際の次なる防衛拠点とされていた。また東日本では唯一の回天基地も造られた。結局八丈島での戦闘は起こらなかったものの、「防衛道路」や「鉄壁山」などにその跡が残っている。

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平安時代に伊豆大島へ流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害した伝説が残っている.

流刑 江戸時代には追放よりも重い刑と規定されて「遠島」と称されており、江戸幕府では東日本天領の流刑者を主に八丈島等の伊豆七島に流した。八丈島の公式な流人第一号は、慶長5年関ヶ原の戦いに西軍石田三成方に属した宇喜多秀家である。秀家の子孫は、秀家の正室であった豪姫の実家である加賀藩前田氏の援助を受けながら数家に分かれて存続し、明治維新後の1869年に至ってようやく赦免された。赦免と同時に直系の者は島を離れて板橋宿の加賀藩下屋敷跡に土地を与えられて移住したが、数年後に島へ戻った子孫の家系が現在も秀家の墓を守っている。

最後の流人(最後まで流刑状態にあった人物)は北方探検で知られる旗本近藤重蔵の嫡男近藤富蔵である。1826年(文政9年)に殺人を犯して八丈島に遠島となり50年以上もの間、島で流人としての日々を送った。1880年(明治13年)にようやく明治政府により赦免。彼が流人生活の間に記した『八丈実記』は島の研究の資料として高く評価されている。流罪にされる場合、暴力犯より政治犯が往々にして遠くに飛ばされる。政治犯は多くの場合文化人であり、特に古い時代は貴族等位の高い者が多かった。したがって、その様な人物が多数流される地には豊かな文化が伝えられ、栄える例が多い。八丈島にも言える。

Photo_3 八丈富士 標高854メートル 富士山のような美しい円錐形をした伊豆諸島最高峰の山。標高500m付近を走る鉢巻き道路から登り、晴れていれば山頂に近づくほどに広がる眺望は素晴らしく、お鉢廻りの登山道は溶岩に風衝地特有の低木林が広がっています。また、火口のダイナミックな火山地形は圧巻です。標高854.3mの八丈富士は円錐形の複式火山
で、伊豆諸島最高峰。形成されて約1万年の若い山である。登山口から頂上まで、ゆっくり登って1時間15分。

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ふれあい牧場 
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ふれあい牧場は、緩やかな山の傾斜地に放牧がされています。また、展望台からは島の中心部を一望できます。夜景と満天の星空はすばらしい輝きを放ちます。また、頂上を含め中腹の鉢巻道路から年に数えるほど空気の澄んだ日(冬季)には八丈小島の右奥方向に友島の島々はもちろんのこと駿河の富士も望めます。

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登山道は最初、1280段続く石の階段をひたすら登る。踏み面が等間隔ではないからペース乱しちゃうとすぐ疲れそう。

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八丈富士の火口内にある浅間神社 木立のルートを15分程度歩くと木々に覆われた浅間神社が現れた。雨の湿気で緑が濃い。小さな祠がある。

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みはらしの湯  大露天風呂と内風呂である展望風呂、展望休憩室をメインにレイアウトしており太平洋の大海原と小岩戸ケ鼻、八丈島灯台を見渡せるまさに絶景とも言える場所に建てられています。入浴料 500円。

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我々が投宿したホテル リード アズーロ

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明日葉の栽培をする農家 畑に残されたキジの卵を孵化させて飼育してる。

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玉石垣  石は、一個の石の周りを六個の石が囲むように敷かれている。水はけが良く、強固な塀になっている。 波に削られ、角のとれた丸い石を積み上げた石垣。流人が1日の糧を得るために海岸から運んだともいわれている。近くにはふるさと村もあり、かやぶき屋根の古民家を見学できる。

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ふるさと村  島の古い住居を移築したもの。風水害からくらしを守る知恵にあふれています。

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ふるさと村
玉石垣と椰子に囲まれた敷地内に、母屋、馬小屋、高倉、閑所(トイレ)が移築保存されています。休日や観光来島者のある時期には、母屋の内部が開放され、伝承の語りやお茶のもてなしがあります。

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樫立踊り 徳川幕府献上絹黄八丈御用船の船預かり船奉行であった服部家の屋敷跡服部屋敷では、東京都指定無形民俗文化財である樫立踊りを公開しています。流人や漂流者たちが日本の各地から持ち寄った踊りが伝えられたものです。都 の無形文化財に指定されています。http://youtu.be/pT3x4GBY0XA 前庭には樹齢700年を超える大蘇鉄と入口には近藤富蔵設計、流人が築いた玉石垣があり、往年の服部家を偲ばせます。

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歴史民俗資料館
先史時代の石器、島民の生活の変遷、流人の苦難、古文書、伝承にまつわる資料など約1,500点を展示。

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Dsc06424南原千畳敷   八丈富士が噴火した際、その熔岩が流れてきたところで、そのままべったりと海に張り出してすばらしい景色、景観を呈している。溶岩はパホイホイと言われるもので、縄目状になっているところがある。また、玄武岩の特徴である柱状節理を見ることができる。右手海上に八丈小島が浮び、磯釣りの好適所でもある。


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裏見ヶ滝温泉
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中之郷尾越温泉スタンドから道路を隔て、滝を見下ろすロケーションに造られた裏見ケ滝温泉は男女混浴の露天風呂です。(水着での入浴となります)


管理運営は中之郷自治会が行っており、地区住民はもとより島を訪れるダイバーなどに高い人気です。(ここでは石鹸・シャンプー等は使えません)

源泉名:中之郷尾越温泉、泉 温:53.1℃ PH値:6.3 湧出量:500ℓ/分(動力揚湯) 泉 質:ナトリウム-塩化物温泉 混浴温泉(水着着用)


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Dsc06632_2大阪トンネル 日露戦争(役)戦勝記念事業として、明治38年に起工、同40年唆工。長さ167メートルの素掘のままであったが、昭和37年に横間道路の改修に着工、以来6年の歳月をかけ、昭和43年7月5日完成、現在の近代的なトンネルとなった。道路は総延長1667.5メートル、巾6.5メートル。トンネルは高さ6.5メートル、長さ151.2メートル、巾7.3メートル。このトンネルを境として三根、大賀郷を坂下、樫立、中之郷、末吉着を坂上と呼んでいる。ここからの展望は横間浦とそれに面している耕地と切替畑の樹木が確認できる。
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見晴らしの湯に行く途中に名古の展望台があります。この辺りは末吉地区、空港から車で約30分ほど走ります。高台にあるこの展望台からの眺めは最高!!Dsc06705














右手に断崖絶壁があり左手には太平洋。眼下には洞輪沢港が見えます。洞輪沢港には、洞輪沢温泉があります。

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八丈島一周の都道の内、末吉と三根の間を登龍道路と呼び、その最高部が登龍峠です。 眼下に底土港、神湊港、空港や坂下市街地が見え、その先の八丈富士や八丈小島が望めます。 晴天には遠く三宅島や御蔵島が望める八丈島随一の観光道路。Dsc06744_2

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2泊4日(含む 船中泊)の旅が終わりました。八丈島の皆さん、有難うございました。

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さようなら またお会いする日まで。

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