五月大歌舞伎
午後4時半開演の五月大歌舞伎に行ってきました。初めての鑑賞でしたが、インターホン付きラジオ説明の助けもあり、楽しませてくれました。1 矢の根、2 幡随院長兵衛、3 春興鏡獅子 の3部作でした。幡随院長兵衛は、海老蔵です。
歌舞伎十八番のなかで上演回数が群を抜いて多いのは『助六』、次いで『勧進帳』で、これに『暫』が続く。この三番はいずれも七代目團十郎と九代目團十郎の時代に書かれたり現行の型が整った、当時における事実上の新作といえる演目である。
このほかにもしばしば上演されるのが『矢の根』と『外郎売』、そして『毛抜』と『鳴神』である。前の二番は『助六』と同じ「曾我物」の演目、後の二番は『雷神不動北山櫻』という通し狂言の三幕目と四幕目を独立させたもので、登場人物に馴染みやすいことが度々再演される理由にあげられる。また『景清』も現在に伝わって時折上演される。
矢の根 正月の曾我の里で、大きな砥石<といし>で矢の根を磨いていた曾我五郎の初夢に、兄十郎の生霊<いきりょう>が現れ、いま敵の館に捕らえられていると告げて助けを求める。驚いた五郎は四方の悪魔払いをした後、来合わせた裸馬に乗り、大根を鞭<むち>にして駆け出す。
幡随院長兵衛:江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客元祖ともいわれる。元和8年(1622年) - 明暦3年7月18日(1657年8月27日
父の死後、幡随院(京都の知恩院の末寺)の住職・向導を頼って江戸に来て、浅草花川戸で口入れ屋を営んでいたとされる。旗本奴と男伊達を競いあう町奴の頭領として名を売るが、明暦3年7月18日(1657年8月27日)、若い者の揉め事の手打ちを口実に、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門(水野成之)に呼び出され殺害された。芝居『極付幡随長兵衛』の筋書きでは、長兵衛はこれが罠であることを勘づいていたが、引きとめる周囲の者たちを「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、人は一代、名は末代」の啖呵を切って振り切り、殺されるのを承知で一人で水野の屋敷に乗り込む。果たして酒宴でわざと衣服を汚されて入浴を勧められ、湯殿で裸でいるところを水野に襲われ殺されたとしている。
春興鏡獅子 人気演目として知られており、当時の歌舞伎座の中幕として出された長唄の所作事である。作詞は福地桜痴、作曲は三代目杵屋正次郎、振付けは二代目藤間勘右衛門と九代目市川團十郎。團十郎は『枕獅子』という長唄の所作事を娘たちが稽古するのを見て、これは遊女がのちに獅子の所作となるものであり、歌詞も色っぽいのを福地桜痴に頼んで改めたものである。
その内容は江戸城大奥の正月七日の鏡開きの日、そこへ奥女中たちがお小姓の弥生を引っ張り出し、弥生に踊るよう勧める。弥生は最初拒むもしまいには致し方なく、踊りを見せる。ところが踊るうちに、その場にあった獅子頭を手にすると獅子頭には魂が宿っていて、弥生の体を無理やり引きずりながらどこかへ行ってしまう。やがて獅子の精が現われ、胡蝶とともに牡丹の花に遊び狂うというものである。獅子の姿は白のカシラに法被半切という本行(能)の『石橋』に倣った扮装となっている。
歌舞伎十八番は、天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が市川宗家のお家芸として選定した18番の歌舞伎演目。当初は歌舞妓狂言組十八番(かぶき きょうげん くみ じゅうはちばん)といい、それを略して歌舞伎十八番といったが、後代になると略称の方がより広く一般に普及した
« 娘の軽自動車が変わりました。 | トップページ | 獨協大学で韓国語を受講 »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 坂本冬美コンサート2018(2018.06.22)
- 山王祭(2018.06.09)
- 神韻晩会日本公演(2018.04.17)
- 杉戸町さくら祭り(2018.03.26)
- 元旦(2017.01.01)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
何度読んでも、よく理解できません。
とにかく、貴兄の行動力の乾杯です。
投稿: 佐々木浩一 | 2014年5月12日 (月) 10時50分
河野さんの解説はわかりやすいです、よく調べていると思いました。本当に多才ですね。すばらしいです。
投稿: 渡辺けんじ | 2014年5月15日 (木) 16時18分