金沢の名所
金箔と近江町市場 主計町茶屋街 ひがし茶屋街
金箔 明治以降の流れを見ると、製箔は世間の好不況に大きく影響されることがわかります。昭和から平成にかけて箔の生産金額は上昇していますが、それ以降の長期的な不況の中、箔の生産は減少傾向にあり職人の数も減ってきました。 このような中、平成21年(2009)に「金沢金箔伝統技術保存会」が設立され、伝統的な製法で作られる縁付(えんづけ)金箔の技術を次の世代へ伝承する動きが興っています。 金箔は、製作用具が昭和46年(1971)国の重要民俗資料に指定、また昭和49年(1974)に伝統的工芸品産業の振興に関する法律(いわゆる「伝産法」)が施行されると、昭和52年(1977)に「金沢箔」として指定伝統的工芸材料となっています。
加賀藩では領民にも謡を奨励し、多くの領民が謡を習い、その裾野は大きく広がった。金沢は「空から謡(うたい)が降ってくる」と言われるほどの町になった。そんな風情が一番残っている町である。
江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。
主計町茶屋街
加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来。金沢市では東山ひがしとともに、種別茶屋町で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
主計町は北国街道が浅野川を渡る地点に架かる浅野川大橋の近くに位置する。茶屋町として明治期から昭和戦前期にかけて栄え、当時の建造物が多く残っている。金沢の茶屋街は東山地区の「ひがし」と、野町地区の「にし」と、浅野川の近くで「ながれ」とも呼ばれた主計町の3つがある。どこも石畳が敷かれ、料亭や茶屋が並び、「木虫籠」(きむずこ)と呼ばれる格子窓から、三味線の音が聞こえてくる情緒ある町並みである。
「志摩」は、文政三年(1820)に建てられたお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、江戸時代そのままに残っており、学術的にも貴重な文化遺産として高く評価されている。 | |
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